WRC2021/02/27

ハンヌ・ミッコラが78歳で逝去

(c)WRC Promoter

 1983年のワールドチャンピオンである、ハンヌ・ミッコラが癌のため78歳で逝去した。

 ミッコラは長いキャリアの中で123回のWRC参戦を果たし、フォード、トヨタ、マツダ、スバルでもドライブしたが、なかでもアウディでの活躍が最も有名で、キャリアにおいて果たした通算18回の勝利のうち11勝はアウディで成し遂げたものだ。

 WRC初優勝は1974年の1000湖ラリー、現在のラリー・フィンランドだ。マーカス・グロンホルムとともに7回もこのイベントを制覇しており、彼の名はいまもラリー・フィンランドの栄誉の頂点に君臨している。

 フィンランド東部のヨエンスで生まれたミッコラは、21歳の時にボルボで地元のイベントに参加してラリーのキャリアをスタートさせた。

 1972年、世界ラリー選手権が始まる1年前の東アフリカ・サファリラリーでフォード・エスコートで優勝して名を上げることになった。初期の成功の多くはフォードでのもので、ミッコラは1979年にフォードの初のワールドタイトル獲得に貢献した。しかし、ミッコラにとっては、初のドライバーズタイトルをビョルン・ワルデガルドに1ポイント差で奪われてしまうという不運に見舞われたシーズンとなってしまった。

 ミッコラは1980年に再びドライバーズ選手権で2位となった後、1981年にはアウディに移籍し、ラリーの4輪駆動革命のリーダーとなった。1981年のスウェディッシュ・ラリーでは4輪駆動で初勝利を挙げ、1983年には4勝を飾って初のワールドチャンピオンに輝いている。

 ミッコラはその後もグループB時代を経て、グループA初年度の1987年にサファリ・ラリーで勝利を飾っている。ミッコラは、1988年にはマツダに移籍、惜しくもWRCでの優勝はならなかった。