WRC2021/06/22

ペター、1999年サファリ初出場の劇的ドラマ

(c)Petter Solberg

(c)Petter Solberg

 オリヴァー・ソルベルグのサファリ・ラリー・ケニアのデビューは本当に突然決まったことだが、それについては彼の父であるペターが、初めてのサファリへの参戦が決まったときと比べれば、それほどドラマチックなものではないかもしれない。

 オリヴァーは今週、ケニアでWRカーでの初のグラベルイベントを戦うが、それは22年前に父ペターが初めてフォード・フォーカスWRCでサファリに参戦したときと、まるで同じ道を辿るように見える。

 1999年2月の最終週、当初、ペターとフィル・ミルズはノルウェーのフィンスコーグ・ラリーにフォード・エスコートWRCで走る予定となっていた。でもそれはケニアでサファリ出場を準備していたトーマス・ロドストロームが脚を骨折する前のことだ。

 ロドストロームのコドライバーだったフレッド・ギャラハーがマクライン社から出版されている「McRae, Just Colin」の中でこのアクシデントが起きたときの驚くべき真実について取り上げている。

 これによると、ナイロビにあるホテル・ムタイガ・カントリークラブで一日のスケジュールをこなしたMスポーツのクルーたちはそれぞれ部屋に戻ろうとしていた時、1995年の世界王者であるコリン・マクレーは、まるでスコットランドの伝説的なラグビーの英雄であるデビッド・ソーレのように、チームメイトであるロドストロームに強烈なタックルを食らわしたという。

 ギャラハーは次のように当時をふりかえっている。

「チームドクターからの電話で目が覚めたんだ。彼が言った、『困ったことになった・・・トーマス(・ロドストローム)が脚を骨折した』とね」

「トーマスが部屋に戻って寝るために鍵を受け取るために受付に向かっていた時、マクレーは彼にラグビータックルを仕掛けようと考えた。そしてコリンはトーマスに思いきりタックルをぶちかますとトーマスは大理石の床に倒れ、彼の脚は直角に曲がったままになっていた」

 これが1999年のサファリ・ラリーのスタート数日前に、マクレーとともに新しいフォーカスWRCを駆って参戦する目前で、ロドストロームが脚を骨折することになった真相だ。

 しかしこうなってしまったら、カンブリアにいるマルコム・ウィルソンに連絡をして、どうして予定が変わってしまったのか伝えなければならない。ギャラガーは、真実をそのまま報告すると、マクレーも自身も走れなくなる恐れがあったと回想している。

「我々は皆、コリンの寝室に集まっていた。自分たちの仕事を失ってしまうのではないかと覚悟していた」とギャラハーは続ける。

「そしてもみ消すために話をある程度盛って、トーマスがペンキで滑ったとして皆で口裏を合わせることにしたんだ」

「マルコム・ウィルソンから午前2時に電話がきて、ペター・ソルベルグがトーマスの代役としてこちらに向かって飛んでおり、私は彼のコドライバーを務めることになると言われたんだ。そして我々は素晴らしい仕事をして、コリンが勝利し、僕とペターが5位に入ったことは、マルコムの心にも大きな変化をもたらした」

 ギャラハーは、ウィルソンが事の真相を知らされたのは、マクレーが2007年にヘリコプター事故で亡くなってから、数年が過ぎてからだったと明かしている。

「ケニアでトーマスに実際に何が起こったのかについての一部始終をマルコムに打ちあけたのは2009年になってからだった・・・」

 ノルウェー出身の24歳の若者にとって、この週末の変化は極めて大きなものとなった。ペターは1999年2月に行われたラリー・スウェーデンに、Mスポーツの旧式のフォード・エスコートWRCで出場し、WRカー初参戦で11位でフィニッシュしていたが、それからわずか2週間後、自身がフォードのワークスドライバーとして人生最大のラリーに向けて南に飛ぶことになるとは想像もしていなかっただろう。

 ペターは、プレイベントテストではコースオフするなど、出だしは決して順調なものではなかった。しかし、ナイロビ近くの2km半ほどの開幕ステージを10番手タイムでスタートした彼は、正式にイベントが始まると一貫した走りを見せ、コドライバーとしてサファリで3勝を挙げているギャラハーの力量にも助けられ、最終的に5位でクルマをゴールさせることになり、そしてこの一戦が、Mスポーツ・フォードとの契約につながることになったのだ。

 ペターは、1999年のサファリ・ラリーに出場した当時のマルティニ・レーシング・フォードのレーシングスーツを着用し、息子のオリヴァーを押しのけて「さあサファリ・ラリーを走りに行くぞ」とおどけてみせる動画をソーシャルメディアで公開している。

 ペターは、動画のなかでロドストロームの名前の刺繍を指さして、ファクトリードライバーとしての緒戦となった大切な思い出について語っている。

「1999年のサファリ・ラリーは、初めてWRCにファクトリードライバーとして参戦することになった。僕にとってこのレーシングスーツは歴史的にも意味のあるものだ」とペターは語った。

「(ケニアでは)動きやすいようにパンツとTシャツのよう二分割された形状になっていて、ここにはトーマス・ロドストロームの名前が刺繍されている。彼がラリーに出場できなくなったので、直前になって僕がケニアに出場することになったんだ。彼からもらったのはこのスーツだけでなく、さまざまなことを助けられたので僕はゴールできたんだ。ありがとう。そして今年、ふたたび僕はオリヴァーと共にケニアに戻ってくることができた。そのことにとても興奮していているよ」