WRC2019/10/18

元三菱WRCチーム監督のコーワンが死去

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 元三菱WRCチーム監督のアンドリュー・コーワンが14日火曜日に死去した。82歳だった。

 コーワンは、かつて三菱自動車のファクトリーチームである三菱ラリーアート・ヨーロッパを率いて、トミ・マキネンを1996年から1999年にかけて4年連続WRCドライバーズタイトルに導いた。またチームは1998年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

 コーワンは1936年に生まれ、スコットランドの国境地域の小さな町ダンズで育った。彼はそこで将来F1世界チャンピオンとなるジム・クラークと親友になった。

 地元のモータークラブに参加した後、コーワンはラリーを開始し、1962年にサンビーム・レイピアで開催されたスコットランド・ラリーで優勝した。そしてその翌年も再び勝利した。

 彼はルーツ・グループと三菱のワークスドライバーとなった。彼のドライバーとしての最大の勝利は、おそらくロンドンからシドニーへのマラソンだろう。コーワンはヒルマン・ハンターを駆り、コリン・マルキンやブライアン・コイルと共にヨーロッパからオーストラリアまでほぼ17,000kmをカバーする1968年のイベントで優勝した。彼は1977年に今度はメルセデス‐ベンツ280Eを駆ってマルキンとマイク・ブロードと共に30,000kmのルートを勝利した。

 コーワンは、1972年から1976年の間にオーストラリアのサザン・クロス・ラリーを5回勝利し、1978年には世界最長のラリーである南アメリカ・マラソンで32,000kmを走破して優勝した。彼はケニアの厳しいサファリ・ラリーで4回にわたってトップ4位を獲得し、1985年のパリ‐ダカール・ラリーでは2位だった。

 英国で最も優れた長距離ラリードライバーとして、彼はジム・クラーク・メモリアル・トロフィーやブリティッシュ・レーシング・ドライバーズクラブのジョン・コブ・トロフィーなど、数々の賞を受賞した。

 1983年には、彼は三菱自動車のスポーツ活動を運営するためにラグビーに英国本社を設立した。アンドリュー・コーワン・モータースポーツは三菱ラリーアート・ヨーロッパに発展し、コーワンとマキネンは1996年から2001年の間に22回のWRC勝利を祝った。

 またリチャード・バーンズも、コーワンの元でWRCで頭角を現し、チームにいた3シーズンの間に、1998年にサファリ・ラリーと母国ラリーのラリーGBで優勝した。

 三菱がラリー活動を休止した現在、コーワンは、スコットランドに戻り、ベリック・アポン・トゥイードの近くに700エーカーの農場を持って過ごした。