JAPAN2021/05/01

日本アルペン代表だった澁谷道尚氏が逝去

(c)Toshiya Hasegawa

 日本のラリー界を草創期から支え、日本の伝説的なラリーとして知られる日本アルペンラリーの代表だった澁谷道尚氏が22日、ケガで療養中のところ入院先の病院で死去した。85歳。

 日本アルペンラリーは、日本のモーターリゼーションの夜明けにも喩えられる第1回日本グランプリに先立つこと4年前の1959年にスタート、以降も1976年まで18回にわたって開催されている。日本アルペンラリーには、その後の日本のモータースポーツ界を牽引することになるそうそうたるメンバーやワークスラリーチームがエントリーするなど、今日の日本をラリーの礎を築いている。

 澁谷氏は日本アルペンラリーの主催者であるJMC(日本モータリストクラブ)の代表として、日本全国で行われていたJMCラリーのシリーズ戦を競技長として通算289戦も取り仕切っており、それらのコース選定のためにまだ日本の多くの道路が未舗装だった時代に年間8万から12万kmもの距離の試走を行ってきたという。

 日本を代表するイベントへと成長した日本アルペンラリーは1979年にJMCの解散とともに幕切れを迎えることになったが、澁谷氏はその後もオーガナイザーとしてではなくJAF審査委員長として多くのラリーで審査委員長を務めており、日本のラリー界の発展に長年にわたって務めてきた。JAFはこうした活動を評価し、2010年に国内のモータースポーツ振興に貢献した人物に贈る「モータースポーツ名誉委員」の称号を澁谷氏に授与している。

 日本におけるラリーの父「ミスターラリー」とも称された澁谷氏は最近でも、日本アルペンラリーとともに育ったラリー界のレジェンドたちによって誕生したヒストリックラリーイベント「レジェンド・オブ・ザ・ラリー」(2012年から2018年)でも大会長としてスタートフラッグを振る元気な姿をみせていた(写真は2016年)。