WRC2020/06/15

WRC取材歴520戦、マーティン・ホームズ逝去

(c)Toyota

 世界ラリー選手権の取材歴50年を超えるジャーナリストのマーティン・ホームズが先週11日に80歳で死去した。生涯現役を貫いてきたが、長きにわたる癌との闘病の末にペンをおくことになった。

 サリー州アシュテッド生まれのマーティン・ホームズはサザンプトン大学法学部を卒業したが、1959年のイゼッタで初めてのラリーに出場したあとこのスポーツの魅力にとりつかれ、プロのラリーナビゲーターになることをめざす傍らで、英国各地のローカルラリーの記事を新聞に寄稿するようになったという。1974年にジャーナリストになり、以降、生涯をかけてラリーの取材とレポートの配信に情熱を注いできた。

 ホームズはコドライバーとして成功を収めており、1971年の英国ナショナル・ナビゲーター・チャンピオン(エスコートRS1600 Mk1)に輝いたほか、WRCでは2度にわたって4位でフィニッシュしている。シェカー・メタと組んだ1974年のラリー・サンレモ(ランチア・ベータ・クーペ)、そしてアンディー・ドウソンと出場した1979年ラリー・デ・ポルトガル(ダットサン・バイオレット160J)では表彰台まであとわずかだった。また、1976年のRACラリー(現在のラリーGB)ではトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)創業者のオヴェ・アンダーソンとトヨタ・カローラで出場、5位でフィニッシュしている。

 1979年には世界ラリー選手権を取材した年鑑『World Rallying 1』を創刊、毎年恒例となってきたこのシリーズは彼のジャーナリストとしての仕事と人生の集大成として33年にわたって出版されたが、2010年シーズンをカバーした通巻33号で幕を閉じたが、いまもラリー黎明期を伝える貴重な資料となっている。

 ホームズはWRC 520戦目の取材となった昨年のラリー・ドイッチュランドを最後に現場に足を運んでいなかったようだが(写真は昨年のフィンランド)、ジャーナリストとして引退したわけではなく、サリー州の自宅から世界中のメディアにむけて記事を配信していた。心からご冥福をお祈りしたい。