WRC2023/12/31

【TOP10-第1位】クレイグ・ブリーン

「彼は成し遂げた」

(c)Hyundai

Craig Breen
Hyundai Motorsport

2023年4月、クレイグ・ブリーンはクロアチア・ラリーに向けたテスト中の事故によって帰らぬ人となった。ラリーにすべての情熱を捧げ、33歳の若さで短い人生を駆け抜けた。

ブリーンの名前が世界に知られたのは、14年前の2009年12月、彼がフィエスタ・スポーツトロフィー・インターナショナルで総合優勝したときのことだった。Mスポーツ代表のマルコム・ウィルソンと握手をした19歳の彼は、世界を夢見るまだあどけない少年だった。

その2年後にWRCアカデミー(現在のジュニアWRC)のタイトルを獲得、これからという時に、ともにワールドチャンピオンを夢見てきたコドライバーのギャレス・ロバーツをラリー中の事故で失った。あのときから、ブリーンのきらめくような輝きは消え、悲壮な決意をもったチャレンジがはじまったようにも思う。

ふりかえれば、僕らはステージエンドで何度、ブリーンの笑顔と泣き顔を見てきたことだろうか。初めて彼が表彰台を達成した2016年のフィンランドのときもそうだった。歓喜の喜びのさなか、その笑顔は涙に何度もゆがみ、志半ばで亡くなった友人の死を痛々しいほどに背負って生きていることを思い知らされた。

やっとワークスチームでのフル参戦のチャンスをつかんだ昨年、Mスポーツ・フォードでは抜け出せない迷路に入り込んでしまったが、ヒョンデに復帰した2023年、最初のラリーとなったスウェーデンでいきなりベストタイムを奪って首位に立つことになった。

長かった苦悩の日々が終わり、やっと優勝争いができるスピードを手にしたことを確信し、ブリーンは「僕はブラットビーの市長にもなれる!」と叫んだ。誰もがこのスポーツの素晴らしさに胸を打たれたことだろう。あのときのブリーンの涙まじりの歓喜の笑顔こそが、2023年シーズンのハイライトだった。

ブリーンの葬儀は、事故の翌週、彼の故郷であるウォーターフォード州のフェリーバンクで行われた。誰もが彼の残酷な運命に打ちひしがれているなか、姉ケリーはどうか悲しまないでほしいと感動的なスピーチを行っている。「クレイグは何百万もの冒険物語を持つことができて幸運でした。彼の使命は達成されたのだから、どうか悲しまないで」

ブリーンが泣いたスウェーデンのステージは来季、ブリーンが愛したカーナンバー42番を冠して、「#42 ブラッドビー」という新しいステージ名へと生まれ変わる。新しい伝説のはじまりだ。

WRCに82回参戦し、2位6回、3位3回を獲得した。苦悩にもがきながらも、夢へのチャレンジを続けたアイルランドの英雄としてブリーンの名前は永遠に語り次がれるだろう。

■クレイグ・ブリーン
生年月日:1990年2月2日(33歳)
選手権ランキング:14位
獲得ポイント:19点
ベストリザルト:2位
優勝回数:0回
2位の回数:1回
3位の回数:0回
表彰台回数:1回
出場回数:1回
ベストタイム回数:4回
リードしたステージの数:9SS
リタイア数:0回
リスタートの回数:0回
パワーステージ勝利数:0回
パワーステージ獲得ポイント:1点