日本人唯一人のWRC勝者である篠塚建次郎が3月18日に膵臓癌のため長野県諏訪市の病院で逝去したことが明らかとなった。
篠塚は日本人として国際ラリーに挑戦したドライバーの草分け的な存在の一人であり、サザン・クロス・ラリーで頭角を表し、三菱ラリーアートから出場した1991年のコート・ジボアール・ラリーでWRC初優勝を達成、翌92年にも彼はコート・ジボアール・ラリーを連覇している。それからもWRCへ挑戦した多くの日本人ドライバーがいたが、いまだ篠塚に継ぐWRC勝者は現れていない。
篠塚はとりわけサバイバル・ラリーでの強靱な強さを発揮し、1994年と1995年のサファリ・ラリー・ケニアでも2位に入っているほか、1998年にはアジア-パシフィック・ラリー選手権の初代チャンピオンに輝いている。
パリ・ダカール・ラリー(現在のダカール・ラリー)でも1997年には日本人初の総合優勝を達成している。
篠塚は重い病との戦いにも打ち克ち、昨年のラリー・ジャパンではFIAセーフデレゲートの委員長のミシェル・ムートンともにセーフティカーをドライブして元気な姿をファンの前にみせていた。75歳だった。